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宵はヨイヨイ明けてはこわい。
酔狂の過ぎるお時間です。
毎日桜並木の下を歩いているので下手に口をひらくと魂がでていってしまう。行燈に照らされた夜桜なんかはとくに危険だ。うっかり川の底に天国への入り口があるような気分になる。
さて今日からしがつである。
いよいよ慣れ親しんだ冬にも逃げ帰れなくなったというわけだ。
春の悪魔にとりつかれた人々が口々に嘘をつきはじめた。
嘘をつくたびに生じる歪んだ割れ目からどくどく血が流れて「えいえん」も「ぜったい」も血まみれになっているというのに、そこへわざわざ嘘をかさねるとは随分とペシミスティックな話である。エイプリルフールなんて浮かれた呼び名はやめて、血塗られた四月とでも名付けるべきではないか。私は耳をふさいで白いシーツに包まっている。きみもはやくここへ逃げてくればいい。
煙草と花
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「何かを失わないと何かを得られない」がこの世の真理のような顔で横行闊歩しているが、そのような貧乏臭さは、恵まれた人間の前では何の影響も発揮することができないばかりか、あっけなく打ち砕かれてしまうのである。
運命は私に必要なものを用意し、不要なものを取り除く。私はそれを受容するだけだ。
何も失わず、何も得ない。何も捧げず、何も奪わない。私は私でさえあればよい。
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死んでしまった昔の私を掘り起こして、今までごめんね、と言った。死んでいる私を、何度も何度も殺したりして、ごめんね。それはもうほとんど腐りかけていたけど、髪をきれいにととのえて、花をそなえてあげたら、すこしだけよくなった気がした。私はこれからもっとあなたから遠く離れたところへ行く。とてもさみしいけど、もう二度と戻らない。
あなたを苦しめる神様のようなものは、あなたが死んでしまったすこしあとに、容れ物の身体と一緒に丸めて捨てておいた。私には羽根があるし、新しい物語もみつけた。だから、安心してね。
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たとえば私が死ぬことで絶望するひとがいるかもしれないのだから死んではいけないっていうのは理由にならない。私が生まれることで絶望したひとだっているかもしれないのに。
いや、そういうことではなくて。
でもだってやっぱり死ぬのはずるいと思うじゃん。誠実じゃないって。じゃあ誠実さってなに。いきることが誠実?選択したわけでもないのに?そんなわけはない。だから死ぬっていうのはひとつの選択に過ぎないって言ってるの。でもやっぱりそういうのは、ずるいと思うじゃん。
はじまりが選択できなかったからおわりも選択しちゃいけないんだって。それはきれいな理屈かもしれないけどただ綺麗なだけで有効じゃないよ。なにも証明してない。だから私は
死ぬことがおわりじゃないとか、赤ちゃんは親を選んでうまれてくるとか、全部後付けで、綺麗に飾って、陳腐な魔法みたいだね。そういう話はもういい。うんざり。
私が最高に幸せになって「魔法っていうのはこうやって使うのよ」って言うからみてて。