遊戯標本その3:七夕ごっこ

:::運命の恋人と宇宙で待ち合わせ:::

 

 

近頃の異常な気温の上昇は、世界規模の人口増加が原因と考えられる。 定期的に行われるロリィタ娘とキグルミおばけの戦争によってこの星のキャパシティはなんとか保たれていたが、人々は極限状態の暑さの中で地獄の苦しみを強いられていた。次々に労働を放棄する者が現れ、苦しみからの解放を謳い文句にした新興宗教が大流行。政府は、社会的上層部の人間だけを集めて、月の裏側に建設予定のシェルターへ移住する計画を秘密裏に進めていた。

とはいえ、人々は月も星も見たことがない。灰色の厚いスモッグに覆われたこの星の空には、遠い宇宙の光さえ届かなかった。

 

ツー、ツー。

聞こえますか。

ツー、ツー。

 

一番上までしっかりと留めたハート型の釦を指先で弄りながら、渋谷のスクランブル交差点に立っている少女。

ブラウスにはしつこいほどのレース、幾重にも重ねたスカート。小さい膝小僧を隠したソックスには、揚羽蝶のごときリボンがヒラヒラと揺れている。 全身真っ黒のロリィタファッションでキメた彼女は、ぽたぽたと垂れる汗を手の甲で拭って、勢い良く空を仰いだ。

 

ツー、ツー。 こちらナツミ。

右も左もゾンビみたいな人間だらけよ。 やんなっちゃう。

はやくあなたに会いたいわ。

 

次の開戦で、夏美はゴスロリ部隊として徴兵されることが決まっていた。 思想もなければ掲げる正義もない。膨れ上がる人口を調整するために政府が画策した、意味のない戦争だった。言うなれば戦利品は人の死だ。

しかし一度始まってしまえば、争いは簡単に繰り返された。

憎しみは連鎖し、戦没者は讃えられ、報復や名誉の名の下に少年少女達は戦地へと駆り出されて行った。

 

夏美の元に徴兵命令を通告する赤いカードが届いたのは、 一週間前。いつものようにベランダで夜空を見上げていたとき、玄関のインターホンがポーンポーンと数回鳴った。夏美が玄関へ向かうと、ドアの隙間からカードがぽとりと落とされた。

 

ツー、ツー。いいニュースよ。

私ね、やっとチケットを手に入れたの。

明日、夜があけたら、約束の場所へ向かうわ。 すぐに行くから、待っていてね。

 

スクランブル交差点を抜け、雪崩のような人混みを掻き分けて、夏美はまっすぐに坂道を進んでいた。渋谷に新しく建設された大型公共施設へ向かうためだ。施設内には水族館や映画館、遊園地などの様々なテーマパークが収容されており、その中に、プラネタリウム「宇宙」があった。

人類が急激な人口増加に脅かされるようになってからというもの、このような公共施設には入場規制がかけられた。何せ施設内は常に快適な室温で保たれている。涼しいのだ。規制がなければ無尽蔵に人々が押し寄せて、施設内はたちまち地獄絵図と化すだろう。そうなれば施設としての機能は停止してしまう。 規制をパスするための方法は二つ。莫大な金額を支払ってチケットを購入するか、赤いカードを提示するかのどちらか。つまり、徴兵が決まっている者には無料で施設の利用が許可されているのだ。

夏美は受付窓口にカードを提出した。窓口の奥から、「確認しました」と機械じみたが聞こえ、すぐにカードは返却された。ゲートが開き、夏美は「宇宙」の中へ、スキップで入場した。

「あれがアルタイル、あれがベガ」ゆったりと流れるBGMとは対照的に、夏美の目は、上空で瞬く満点の星々を忙しく追いかけた。「そしてあれが、天の川…」場内のアナウンスは、織姫と彦星の七夕伝説をドラマチックに解説していた。

 

ツー、ツー。 あなたの言っていたとおりだった。 あんなに綺麗な光を見たのは、生まれてはじめてよ。 ねえ、私、いつかきっと天の川を渡ってあなたに会いに行くわ。 そこで私達、抱き合うの。 織姫と彦星みたいにね。  

 

それから夏美は毎日のように「宇宙」へ足を運んだ。真っ黒なロリィタファッションに身を包み、星を見に行く少女に、町の人々は微笑むような、憐れむような視線を向けていた。

あの子ももうすぐ戦場へ行くのだ、その日がくるまではせめて、星を眺めて、星に祈って、どうか普通の女の子みたいに。

けれど夏美の目は、希望に満ち溢れ、プラネタリウムの映し出す光よりも爛々と輝いていたのだった。

 

けたたましく響き渡る警報音と共に、戦いは再開された。

ロリィタ娘達を乗せた戦闘機は、キグルミおばけの放つレーザー光線によって次々と撃ち落とされて行った。もとより戦闘力ではロリィタ娘側が圧倒的不利である。何しろ武器は爆弾を埋め込んだうさぎのぬいぐるみだけなのだから。

スカートをパラシュートのように膨らませ、ロリィタ娘たちは着ぐるみおばけの頭上をくるくると舞いながら落ちていった。その姿はまるで風に揺られて可憐に咲くスズランの花のようであった。

うさぎのぬいぐるみを抱きしめたまま、見事上空で勢いよくキグルミおばけに突っ込んだ夏美の魂は、肉体を離れ、そのままみるみる加速し、光よりも早く宇宙へと飛び出して行った。 厚いスモッグに覆われた空の向こう側では、アルタイルが煌々と瞬いていた。

 

ツー、ツー。

ツー、ツー。