煙草と花

私を掻き集めている。私のようなもの、が深淵に落ちて消えてしまっても、私はまだここにあるのだと確信するために。私はこの両手で、私を抱きかかえることができる。



言葉を使うことは、自分を拡散させることだ。どんなに明確な意志も、言葉となった瞬間それは煙草の煙のように曖昧な軌道をえがいて拡散する。自分自身であってもそれを正しい質量のままに保存することはできない。それでも私は身体を燃やして、煙を充満させるのだ。あなた方は呼吸をするように私を取り込まねばならない。たとえ私が燃え尽きても、あなたの体内に、私は靄のように漂い続けるだろう。
しかしそれは、つまり取り込まれた私は、私であって私ではない。何故なら私は、常に生まれているからである。生まれ変わるのではなく、私のまま生まれ続けているのだ。枯れ落ちた花弁が、花そのものに、もう何の影響も与えないのと同じように。私は私の瑞々しさのために、私の残骸を切り離すのだ。私は煙草であり、花である。深く吸い込んだ煙は甘い蜜の香りに違いないだろう。