死にむかって生きる人間の発する死にたいはつまり生きたいである。生きたいを発する人間が死へと加速しているのと対応している。生によって得られなかったものを、対である死に求めることができると考えている。そして同時に、生によって棄てられなかったものを、死によって棄てることができるとも考えている。そのために死の際までも恐怖を抱えていなければならないという悲劇がおこる。恐怖は、実はとても重いのだ。鎖のように縛り、鉛のように押さえつける。ただこのセカイから飛ぼうとした人間が、落ちることしかできなかった、これに勝る悲劇がほかにあるだろうか。
死の恐怖を受け取らずに魂を飛躍させる方法は、容れ物を破壊する以外にない。死によってもたらされる恐怖はこの容れ物が感受するのだ。魂だけを闇の帳の向こう側へそっと置いてやればいい。あとは速度が私を運ぶだろう。次に目をひらけば、私はそこへ辿り着いている。