かわいい戦争

かわいいは消費されてゆく。

消費され、飽きられ、忘れ去られ、新しいかわいいへと入れ替わっていく。 それを空虚だとか愚かだとかいう人たちもいるが、消費されないかわいいなんて、パッケージを開封しないままの商品と同じである。なんの価値もない。時代を超えて愛される不変のかわいいがあるように見えるのも、ただ単に時代という一定期間をあけて消費のサイクルがめぐっているだけで、実際は消費されているに過ぎないのだ。
言い換えれば、時代を超えて可愛いは生まれ変わる。一度死んだかわいいは時を経てまた復活する。少女たちの尽きることない欲求とともに。
そして私たちもまた、一人残らず、消費されていく。このステージの上にいられるのはほんのわずかな間だけかもしれない。いつか終わってしまうこのときに、欲望のままに踊るのは無意味なことだろうか。


消費されることを恐れてはならない。終わりの先にしかはじまりはないのだから。作品をつくることもまたしかりである。作品をつくることで、自分のなかのエネルギーを開放すれば、自分のなかに流れが生まれ、その流れは新しいエネルギーと反応し合いながら、よどみなくあり続けるだろう。開放せよ。かわいいに魂を燃やした少女たちの墓標の上に、ハート形に光る新しいピンクの太陽が見える。