感覚器官へ直接的な働きかけがあることではっきりとそこに存在していると分かる瞬間にしか同じ世界を生きていることが信じられないのだから、証拠がすっかり隠されているあいだにもなにか確かなものをみつけられる可能性があるのなら、今見ている月がどんなふうにそこにあってどんな光りかたをしているか、それだけ、一晩中語り続けていたってかまわない気がするよ。同じはやさで満ち欠けを繰り返すそれは、あるいは忠実な「しるし」になるのかもしれない。それでも、空を見上げる私たちの首と顎の作り出す角度が微妙に違っている。それはもう、初めから、ずっと違っている。だから。

言葉では到底埋められないものがあったとして、言葉以外の手段を持ち得ていない限りはやっぱり言葉を使わなくてはいけないんだ。わずかな抵抗が生み出すものは限りなく100から遠くても、揺れる針の先が0を示すことはないから。そしていつか、針が大きく振り切れて、私たちの角度に世界が傾くのを待っている。