自分に忠実であることは本当に孤独で逃げ場がない。私が祈らないのは、一切の責任転嫁をしないという決意に基づいて私が下した選択だ。そこには神への否定も肯定もない。

私が信仰を持たないことについて、ある信仰者は、「自分ではどうしようもない状況に直面したとき、信じられるもの、祈るものがないのは、不幸だ」と言ったが、どうしようもない状況を自分以外のせいにしてしまえることのほうが、私はずっと恐ろしい。そして、自分以外の意思でどうにかなってしまうことがあるのだとしたら、更に恐ろしい。
拠り所を持たないことを不安定と感じるか、自由と感じるか。
私は私の精神の自由を放棄しないためならばどんな手段も厭わないだろう。
私を失って生きることは、私のままで死ぬことより苦しいのだから。
抱えたものを抱えきる覚悟を。いつでも手放せる柔軟さを。とどまらない思考と制限のない視野を。
私の信仰心は、無限を内包し、私に帰着する。